Hibi_no_thought.

いきるためのものづくりについて考えたあれこれ

ライターがなくても線香に火は着く

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網戸を閉めないと外から蚊がやってくる季節。
もうか、やっとか、ひとそれぞれな六月がやってきた。

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うちには風の通る窓が二箇所ある。
ベランダに面しているところの他に、非常用出口となる曇りガラスの扉窓。おそらく私用しないほうが良いのだろうけれど、このくらいの時期になると部屋の中に風を通したい。他の間取りの部屋にはないだろう特権を行使させてもらっている。

通気の心地よさと引き換えに得る存在—家中の明かりに導かれてやってくる、それが蚊。なぜかというと扉窓の方には網戸がなく(非常用なので)、うっかり閉めそびれて寝床に入ってしまった次の日の朝は、体のいたるところを刺されてしまっている。かゆい。

そんな日を幾日か経験して、ようやく蚊取り線香を買った。重い腰をあげてではないけれど、準・生活必需品であるこの季節商品を自力で買いに行くのは正直面倒(私自身が新生活を始めて間もないので、あらゆるものが不足しています)。おまけにまだ行き慣れていないドラッグ・ストアということもあり、目的の商品を見つけることにも時間を要する。他にもいくつか商品を合わせて買い、ミッションをクリアしたかのように家に戻った。帰りながら、これで虫の羽音に邪魔をされずに安眠できる!と、既に数カ所刺された肌のかゆみも引くような思いであった。

その日の晩、仕事から帰宅して気がついた。一緒に買おうと思っていたライターを買い忘れた。これでは、線香に火が付けられない。周到な用意を済ませたと思っていたが、ぬか喜びであった。もう何晩か蚊取り線香はお預けだなと、窓をしっかり閉めて就寝するような日が続いた(ライターを買うことがまた面倒)。

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先日、母親が家にやって来た。煮物やら色々こさえて来てくれて、家の収納についてやら調味料についてやら新生活にまつわる話をしばらくしていた。あれがあったほうがいいよと助言などを受けて色々買い足すために買い物に出た時、ついでにライターを買おうと思い出した。行きながら、最近夜家の中に蚊が入って来てね〜なんて話しながらライターを買い足す理由を伝えた。そして言われた。『コンロでつければいいじゃん』。・・・そっか〜そうか〜!!!

私が欲しかったのは、ライターではなかった。火だったんだ。なぜ、気がつくことができなかったのか。数日経った今でも、受けたショックを引きずっている。

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名詞や名称に考えを縛られるのをやめよう。それがどういう機能を持っているのか、細分化して見つめ直せばいいんだ。異なる名称を持っていても備わる機能は同じことだってあるんだ。“ライター”も“コンロ”も、ガスを使って火をつけるもので、携帯ができトリガーに指をかけるのか、つまみをひねってごとくの下から着火するのか、仕様とそもそもの見た目が違うだけ。今まで散々騙されまいとしてきたことに、いとも簡単に引っかかってしまった。

つくるときに考えることは、使う時のこと。何をなぜどうやって、ひとが扱うのか。そのひとは何がしたくてその商品を買い、使うのか。それはとても一言では表せない。名称に踊らされずに用途や目的を考えたり予測するちからは、すべての消費者に求められるのだ。思考を巡らせないとあらゆるものに騙されてしまう。

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欲を満たすまでの筋道を、段階に区切って考えてみる。その時にゴールを名称にしない。蚊取り線香を使うために求めていたものは、火をつける道具であり、ライターでなくても良かったということです。それに気づかせてくれるのは、ものを使うことに慣れていてその中で様々な知恵を蓄えてきた生活者—常に考えて生きなくてはいけない存在。先人や親、恩師、上司・・・と言いたいところではあるけれど、それに頼らずに生き抜く力を私は付けたい。口車に乗せられる前に。自分の足で歩いていくために。紛いのないものごとをつくり出して提供していくために。

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